母ちゃんの連載記事を薦めた、沖縄タイムスの与那嶺一枝記者

父の名は島袋光裕です

2012年06月28日 16:27

  2005年6月17日付で開始した元ブログ『I LOVE NOBUKO』読み、連載記事を薦めた沖縄タイムスの与那嶺一枝記者。

  当時は学芸部くらし報道班だが、現在は政経部副部長・部長待遇。木曜日の『大弦小弦』も担当している。

 連載終了後、僕は2007年6月5日にメールを送った。一部抜粋する。『原稿書きは楽しかったですが、学芸部との付き合いは苦痛そのものでした。やっと解放されるという感じで、気分はそう快です。お礼を言わなければならないこともあります。それは母の連載です』。

  そして『現在の僕は会社勤め。今度の7日(木)と8日(金)は休日です。新都心辺りでランチでもいかですか?』

  与那嶺記者からは『7日は、昨日予定を入れてしまいました。お母様の介護の件については、私自身が、担当することができず、島袋さんには申し訳なく思っているしだいです。お気遣いなさらぬように』と断られた。

  メールの行間から、僕とは『関わりたくない。大迷惑だ』と読み取られた。僕は食事よりも、連載『いつも母ちゃんにアイ・ラブ・ユー』の経緯を話し合いしたかったのが本音だ。

  沖縄タイムスのラテ面で執筆していた『音楽への階段』は07年6月30日付で終了。気を緩めることはしなかったが、現実には『そう快』とならない。学芸部芸能班の玉城 淳記者らが、させてくれなかった。

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