お父さんの名が冠に付く『島袋光裕 生誕百年記念芸術文化賞』
お父さんも母ちゃんも自分の御先祖を敬う人。お父さんは一人っ子、母ちゃんは二人姉妹である。
僕が高校を卒業する頃まで、那覇市壷屋町の家には、母ちゃんの御先祖のトートーメー(お仏壇)があった。母ちゃんの姉夫婦は太平洋戦争で亡くなり、実妹である母ちゃんがトートーメーを大事に守っていた。
僕は小学校6年の頃まで、家庭の事情をよく解らなかった。その当時、お父さんが住む家は別である。
お盆のウンケーを迎える直前まで、お父さんは壷屋のトートーメーにお供え物をするために、かいがいしく動き回っていた。
僕は中学になり、家庭の事情も把握。変わらずに動き回る後姿のお父さんを、心優しい男だな見つめていた。
お父さんは世間から先祖のことをかえりみない、自由奔放な人だと思われているふしがある。そんなことは間違ってもない。
それは、子供の頃から後姿も見つめ続けた僕がよく解っている。ただし、お父さんと母ちゃんもサンジンソー(易者)やユタムニー(神がかった話し)が好きでないだけである。
二人は健在の頃から『一家和合』を口にし、それぞれが後姿でも教えてくれた。それを感じる、感じない人もそれぞれ。
一家には今年は喪に服さなければならない年でもある。そんな年に、お父さんの名前を冠に付けた『島袋光裕 生誕百年記念芸術文化賞』を開催するなんて理解し難い。
今年は人間国宝(組踊音楽太鼓)でもある義兄・島袋光史の初盆。母ちゃんはお父さんにムヌイーカンティー(しどろもどろの言い訳)をしている頃だと思う。
後姿を感じない実の兄姉妹たちに「一家和合って、何?」と、問い掛けてみてもサーワライ(薄笑い)を浮かべるだけだろう。
上記記事は
2006/08/02 19:59に作成した。
島袋光裕 生誕百年記念芸術文化賞は2010年7月16日も開催。17日付の琉球新報に記事が掲載されている。
http://goo.gl/NVgHn
島袋光史は光裕の実子。僕とは母親違いの義兄である。生前、光史は『島袋光裕 生誕百年記念芸術文化賞』に一度も出席したことがない。主催の顕彰事業会と、それを画策する島袋本流 紫の会 三代目家元の実母(僕の実姉の二女)は光史を敵視。声を掛けていないのも理由の一つだ。
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http://goo.gl/OR5tz
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