いつも母ちゃんに I LOVE YOU › 空襲警報が鳴り響いた朝鮮動乱時代を憶えていますか?

2015年08月23日

空襲警報が鳴り響いた朝鮮動乱時代を憶えていますか?

普天間からの移設を県外や国外に求める声もあるが、
僕は辺野古基地建設賛成派。理由は有事への最大防波堤になるからだ。

僕は壺屋小学校低学年時代に防空演習を経験。
学校の先生から「今夜は空襲警報があるので、早めに食事を済ませて寝るように」と指示されていた。 

空襲警報が鳴り響いた朝鮮動乱時代を憶えていますか?

当時は朝鮮動乱。大東亜戦争を経験している母ちゃんは冷静で「今度はアメリカが味方だから何も心配ない」と言い聞かせてくれた。

那覇の街中に大きな警報が鳴り響くと同時に部屋中を消灯。母ちゃんを真ん中に妹と三人で布団へ。三歳下の妹は空襲警報時代を憶えていないと話す。 

警報と暗闇に怯えていた僕は自分よりも人生の先輩、岸本正男 沖縄タイムス社取締役元会長に空襲警報の件を聞いてみたことがある。

名護出身の岸本さんは「よく憶えているよ。あれは県内で1年半くらい続いたから」と。 そして「灯りが消えているかどうか、夜回りが来た」と、地域差のあることを始めて知り得た。

ソーウチナーンチュの僕は、辺野古基地問題と同時に、有事のことも真剣に考えている。しかしながら、そういう報道は全くなし。過去は知らないが、現時点の沖縄タイムスでも記事をみたことがない。 

現在、中国と北朝鮮と韓国が危険な状況にある。もしから動乱が起きるかもしれない。沖縄にも再び空襲警報が鳴り響くかもしれない。

有事を想定。安保法案は平和法案。早急に成立してほしい。



Posted by 父の名は島袋光裕です at 23:41