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2012年08月18日

沖縄タイムス 学芸部記者が「96歳に何で敬意を」と言い放つ

 沖縄タイムス2006年7月7日(金)付の社説『遺族支援 悲観に寄り添う社会に』を読んだ。

 社説から抜粋。『親しい人に旅立てられたとき、残された者は大きなショックを受ける』と。そんなことは当たり前。誰に言われなくても解る。書いた記者は何を寝ぼけているのだろうか。寝言は起きてから言うなと言いたい。

 記事の続きには『重要なのは、励ますのではなく、その人に寄り添い、悲しみを共有することだ』と書かれている。

 世の中にはいろんな人たちがいるので、何とも言えないが、僕には寄り添ってほしくない。共有されても迷惑千万。言いたいことは、悲しみに暮れている僕を挑発しないでほしかった。それだけだ。

 連載『いつも母ちゃんにアイ・ラブ・ユー』の介護記事。担当した団塊ジュニアの尾崎記者が署名入りで、同日の06年7月7日付くらし面で『脳卒中予防は生活改善から』を書いている。

 連載中は、それこそ挑発の連続だ。尾崎記者から「96歳に何で敬意を表せなくてはいけないんですか」とも言い放された。尾崎記者の横には、学芸部の上間昭一部長(現在は大弦小弦の水曜担当)がいる。上間部長は尾崎記者の言動を制することはない。煽り立てているようにも見えた。

 当時は今の何十倍の悲しみに暮れていた。僕は母ちゃんの連載記事を書くことで、少しづつ心が癒されてもいた。

 真実を晒すことは、それこそ重要。晒せば真実を否定する者も出てくるかもしれない。尾崎記者が「言われた人は、どう反論するんですか?」と僕を罵倒気味に言う。

 僕も真実に登場する人たちに反論している途中。その人たちが僕に反論したければ「連載かオピニオン面に投書すればいいじゃないか」と返した。

 僕に「連載を始めませんか?」と声を掛けてくれた与那嶺一枝記者(現在は大弦小弦の水曜担当)。鬱病が原因の休職をしなければ、挑発もギクシャクもなかったと思われる。

 そんなことも考えながら、連載32回の約束が16回で突然終了。終了後にも学芸部の記者は無言の切電とか、原稿料のウチナータイムなどなど。次々と挑発的な態度を取り続ける。

 本日の社説は『悲観にどう寄り添うか。社会の成熟度が問われている』と締めくくってある。それは言葉の一人歩き。

 まずは身近のことに気づけよ。成熟度が問われているのは、沖縄タイムスというか、学芸部くらし報道班の記者たちだぞ。

 ちなみに、ウチナータイムの件。本日付の『大弦小弦』も読んだが、記事を書いた記者、最近、遭遇したことがないそうだ。編集局内を見渡してみろ。真実を知らないことは恥でもあるぜ。

 今後どんなことが起こっても、僕は平常心を保つ努力はしていくつもりだ。胸に閉まっておくことは精神衛生上にも悪い。

 母ちゃんの香典返しに赤饅頭も配った、実兄と姉二人。もちろん、三人は僕に相談なしの注文である。どういうつもりの赤饅頭かは解らないが、母ちゃんは心底からワジワジー(怒っている)しているのは確か。

 母ちゃんの気持ちは、自宅介護をしてきた僕がよく知っている。繰り返すけど、僕に対しては寄り添うのも共有も断固拒否する。

上記の記事は2006/07/07 17:47に作成した。
データ保存してある、前のBIGLOBEウェブリブログ『I-LOVE-NOBUKO』から再投稿である。



Posted by 父の名は島袋光裕です at 14:48 │沖縄タイムスの男性記者