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2012年06月24日
お父さんは「昭和天皇陛下」より激励のおことばを頂戴している
母ちゃんが元気だった頃、豊見城市上田の家で「これを保管して。ときどきは読んで」と手渡された、お父さんの日記帳。
命令された通りにしている。僕の命と同じくらい大切な、母ちゃんからの形見分けだ。
お父さんの誕生日は6月1日。1979年6月1日(金)付を読み返している。
人間国宝にも値する文字と文章。お父さんとはいえ、故人にもプライバシーがある。
差し障りがない箇所から抜粋。『天気は晴。私の八十六回の誕生日。かぞえ八十七 巳年生れだから』と書かれている。
本文を読む。お父さんの日常生活の様子が手に取るように良く分かる。外出も仕事も。この日は夜11時に就寝している。
お父さんの日記。80年6月1日には、自分の誕生日に関することなど一文字さえも書かれていない。以降もだ。
空白の現実に胸が痛む。長い闘病生活の後、87年9月7日に永遠の旅立ちをした。
お父さんは普通の日本国民。日の丸を誇りにしている。天皇陛下、皇后陛下も敬う。1969年には勲五等双光旭日章。宮中豊明殿にて、昭和天皇陛下より激励のおことばを頂戴している。
お父さんの家庭教育。僕は小学校の入学前から『君が代』を歌えた。日本人として、当たり前のことだから自慢にはならないけども。永久に感謝したい。
命令された通りにしている。僕の命と同じくらい大切な、母ちゃんからの形見分けだ。
お父さんの誕生日は6月1日。1979年6月1日(金)付を読み返している。
人間国宝にも値する文字と文章。お父さんとはいえ、故人にもプライバシーがある。
差し障りがない箇所から抜粋。『天気は晴。私の八十六回の誕生日。かぞえ八十七 巳年生れだから』と書かれている。
本文を読む。お父さんの日常生活の様子が手に取るように良く分かる。外出も仕事も。この日は夜11時に就寝している。
お父さんの日記。80年6月1日には、自分の誕生日に関することなど一文字さえも書かれていない。以降もだ。
空白の現実に胸が痛む。長い闘病生活の後、87年9月7日に永遠の旅立ちをした。
お父さんは普通の日本国民。日の丸を誇りにしている。天皇陛下、皇后陛下も敬う。1969年には勲五等双光旭日章。宮中豊明殿にて、昭和天皇陛下より激励のおことばを頂戴している。
お父さんの家庭教育。僕は小学校の入学前から『君が代』を歌えた。日本人として、当たり前のことだから自慢にはならないけども。永久に感謝したい。
Posted by 父の名は島袋光裕です at 22:45
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