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2012年06月22日
第二次世界大戦時、山原の防空壕は想像を絶する場面ばかり
僕の「母ちゃんは元気です」と知らせするために作った季節のカード。身内や介護事業者のスタッフは誰もが「連絡、ありがとう」と喜んでくれた。
2004年の残暑見舞い申し上げます。撮影をしたのは、僕が暮らす浦添市港川の自宅マンション。原稿を書く部屋です。
車椅子に座る母ちゃんの横にはワークデスク。PCが置かれています。
虎の尾の鉢は、今回の撮影用。いつもは窓際で陽を浴びています。
この部屋でも、母ちゃんは想い出話をしてくれた。
若い頃、お父さんと波の上 海岸でボートに乗ったこと。両親にも内緒にしていたと、笑顔で話す。
第二次世界大戦時、山原の防空壕は想像を絶する場面ばかり。十十空襲の戦火を逃れた同じナーファンチュの母親が、ぐずる乳飲み子を、同じ民間であるヤンバルンチュの命令で捨てに行くのを何人も目撃したこと。上空からの爆撃よりも怖ろしかったと、涙顔で話す。
終戦は1945年6月23日。食料にも事欠く日々に、アメリカ兵から物資を恵んでもらったこと。心からの善意は絶対に忘れていないと、真顔で話す。
残暑見舞いのカードは2004年6月23日に撮影した。明日は『沖縄戦終戦記念日』で『慰霊の日』。母ちゃんの誕生日でもある。
2004年の残暑見舞い申し上げます。撮影をしたのは、僕が暮らす浦添市港川の自宅マンション。原稿を書く部屋です。
車椅子に座る母ちゃんの横にはワークデスク。PCが置かれています。
虎の尾の鉢は、今回の撮影用。いつもは窓際で陽を浴びています。
この部屋でも、母ちゃんは想い出話をしてくれた。
若い頃、お父さんと波の上 海岸でボートに乗ったこと。両親にも内緒にしていたと、笑顔で話す。
第二次世界大戦時、山原の防空壕は想像を絶する場面ばかり。十十空襲の戦火を逃れた同じナーファンチュの母親が、ぐずる乳飲み子を、同じ民間であるヤンバルンチュの命令で捨てに行くのを何人も目撃したこと。上空からの爆撃よりも怖ろしかったと、涙顔で話す。
終戦は1945年6月23日。食料にも事欠く日々に、アメリカ兵から物資を恵んでもらったこと。心からの善意は絶対に忘れていないと、真顔で話す。
残暑見舞いのカードは2004年6月23日に撮影した。明日は『沖縄戦終戦記念日』で『慰霊の日』。母ちゃんの誕生日でもある。
Posted by 父の名は島袋光裕です at 11:08
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