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2012年04月11日
沖縄タイムス連載『第6部 老いと暮らし』納得いかない取材記事
母ちゃんが取り上げられた沖縄タイムス2003年9月25日付の社会26面『長寿の島の岐路 第6部 老いと暮らし』を見て、愕然とした。見てというのは写真のことである。
メインプレスで撮影しているとき、何か変だなと感じ「今回の取材は、僕個人とは関係ないので、一緒のところは使わないでくださいね」と、当時の学芸部くらし報道班の黒島美奈子記者に何度か念を押した。
僕は母ちゃんとの一緒の写真を、記念にもらえれば「ラッキー」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、掲載している間「気になるな」という心配もあったのも確かである。
気になる予感は、残念ながら的中。母ちゃんの記事の焦点がボケてしまうなと思いつつ、本文を読むと声を失うほど愕然度が増してきた。
僕は黒島記者に「高齢者を招かざる客にさせたくない。外出するためにもオシャレは大切。そこが自宅介護者というか、息子からのメッセージです」と話していた。記者とは約2時間ほど取材の打ち合わせをしている。
黒島記者から「取材当日は身支度の様子を見せていただけますか? 記事に書きますので」と聞かれた。僕は「どうぞ、どうぞ」と答えた。もちろん黒島記者は、当日は自宅マンションへ訪ねている。
そのことも含め、掲載された記事には真実味が一切ない。僕は「今どきの女性記者は、その程度のレベルだろう」という考えに切り替えた。
介護事業者や病院関係者からも「信子さんの記事を読みましたよ」と言われる。そのたびに僕は「ありがとうございます」と、心にもない言葉しか出てこなかった。
記事の件を忘れかかった頃、2004年5月5日(水)に、黒島記者から『長寿の島の岐路』が本として出版されるので、掲載した写真を使用してもいいでしょうか?」と電話が入る。
胸におさめていた怒りが一気に噴出。僕は連載『長寿の島の岐路』の取材班デスクである山城紀子記者と、家族の悩みを普通に話しすることができる取材班の一人、与那原良彦記者にもメールを送る。男性記者だから本音で書き入れた。http://bit.ly/oMFg2t
04年5月6日 木曜日 0:51AMに送った僕のメールから抜粋。「ご無沙汰しております。「長寿の島の岐路」が本として出版されるそうですね? 黒島記者から電話で聞きました。03年9月25日(木)付に掲載された母・信子との写真を使用してもいいか?との依頼もありました。よく意味が解らないので、編集局まで訪ね、説明を受けました。黒島記者の話しは電話と若干違い、「本では母を取材した全原稿を削り、イメージ写真として使いたい」ということでした。不愉快極まる言いかたで、僕は「イメージなら違う(僕たちとは関係ない)写真を使ってくださいと断りました。黒島記者にも感じていますが、他の記者連中も、誰でも彼でも新聞に出たがると思っているのかな?もし、そう思っていたら「あんた、正気?バカじゃないの?…」と言いたい。
メールからの抜粋が続く。「今だから言いますけど、母との記事は納得いきませんでした。僕は東京で約20年間スタイリストとして仕事していません。取材でそう言ってません。実質的には約5年です。 母が着ている服も取材のためにオーダーしてません。そのことは記者に話してあります。母と僕を知っている読者なら大笑いしたに違いありません。この記事は封印したい気分です。ですから、全原稿を削ったことは感謝の気持ちでいっぱい。イメージ写真もノーサンキューです」。
さらにメールから抜粋が続く。「ところで、今月5月から、母のケアプランを自己作成で申告しました。母は6月で満95歳。プレかじまやーを迎えます。頑張ります。では、では。」と締めた。
与那原記者から5月7日 金曜日 4:25 PM に返信。メールから抜粋する。「同僚が不愉快な思いをさせて、申し訳ありません。取材の件を聞けば、憤慨するのは当然です。いやな思いをさせて申し訳ありませんでした」と結ばれていた。
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http://bit.ly/Hrjp0Y
メインプレスで撮影しているとき、何か変だなと感じ「今回の取材は、僕個人とは関係ないので、一緒のところは使わないでくださいね」と、当時の学芸部くらし報道班の黒島美奈子記者に何度か念を押した。
僕は母ちゃんとの一緒の写真を、記念にもらえれば「ラッキー」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、掲載している間「気になるな」という心配もあったのも確かである。
気になる予感は、残念ながら的中。母ちゃんの記事の焦点がボケてしまうなと思いつつ、本文を読むと声を失うほど愕然度が増してきた。
僕は黒島記者に「高齢者を招かざる客にさせたくない。外出するためにもオシャレは大切。そこが自宅介護者というか、息子からのメッセージです」と話していた。記者とは約2時間ほど取材の打ち合わせをしている。
黒島記者から「取材当日は身支度の様子を見せていただけますか? 記事に書きますので」と聞かれた。僕は「どうぞ、どうぞ」と答えた。もちろん黒島記者は、当日は自宅マンションへ訪ねている。
そのことも含め、掲載された記事には真実味が一切ない。僕は「今どきの女性記者は、その程度のレベルだろう」という考えに切り替えた。
介護事業者や病院関係者からも「信子さんの記事を読みましたよ」と言われる。そのたびに僕は「ありがとうございます」と、心にもない言葉しか出てこなかった。
記事の件を忘れかかった頃、2004年5月5日(水)に、黒島記者から『長寿の島の岐路』が本として出版されるので、掲載した写真を使用してもいいでしょうか?」と電話が入る。
胸におさめていた怒りが一気に噴出。僕は連載『長寿の島の岐路』の取材班デスクである山城紀子記者と、家族の悩みを普通に話しすることができる取材班の一人、与那原良彦記者にもメールを送る。男性記者だから本音で書き入れた。http://bit.ly/oMFg2t
04年5月6日 木曜日 0:51AMに送った僕のメールから抜粋。「ご無沙汰しております。「長寿の島の岐路」が本として出版されるそうですね? 黒島記者から電話で聞きました。03年9月25日(木)付に掲載された母・信子との写真を使用してもいいか?との依頼もありました。よく意味が解らないので、編集局まで訪ね、説明を受けました。黒島記者の話しは電話と若干違い、「本では母を取材した全原稿を削り、イメージ写真として使いたい」ということでした。不愉快極まる言いかたで、僕は「イメージなら違う(僕たちとは関係ない)写真を使ってくださいと断りました。黒島記者にも感じていますが、他の記者連中も、誰でも彼でも新聞に出たがると思っているのかな?もし、そう思っていたら「あんた、正気?バカじゃないの?…」と言いたい。
メールからの抜粋が続く。「今だから言いますけど、母との記事は納得いきませんでした。僕は東京で約20年間スタイリストとして仕事していません。取材でそう言ってません。実質的には約5年です。 母が着ている服も取材のためにオーダーしてません。そのことは記者に話してあります。母と僕を知っている読者なら大笑いしたに違いありません。この記事は封印したい気分です。ですから、全原稿を削ったことは感謝の気持ちでいっぱい。イメージ写真もノーサンキューです」。
さらにメールから抜粋が続く。「ところで、今月5月から、母のケアプランを自己作成で申告しました。母は6月で満95歳。プレかじまやーを迎えます。頑張ります。では、では。」と締めた。
与那原記者から5月7日 金曜日 4:25 PM に返信。メールから抜粋する。「同僚が不愉快な思いをさせて、申し訳ありません。取材の件を聞けば、憤慨するのは当然です。いやな思いをさせて申し訳ありませんでした」と結ばれていた。
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Posted by 父の名は島袋光裕です at 17:45
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