戦後生まれの僕は介護世代でもある 削除した過去記事★40
僕は五人きょうだいの四番目。二男である。戦後生まれで、今では親の面倒をみなければならない介護世代ともいえる。
サラリーマンだと定年直前。長年働いてきたから、ちょっと休憩したいと思う同世代がいるかもしれない。しかし、現実は厳しく、まだまだのんびりさせてくれません。
僕が東京から戻ってきた理由はいくつかあるが、そのひとつに、母ちゃんを面倒みなければならないと思ったから。
東京時代に、母ちゃんが「あなたがいないと寂しい。早く帰ってきて」と繰り返し言うばかり。
僕が「みんな(兄と姉二人と妹)いるから良いんじゃない?」と返すと、母ちゃんは「でも帰ってきてほしい」と繰り返す。
まだまだ東京で頑張りたいと気持ちもあったが、一代決心してUターン。帰りの条件に、豊見城市上田には住まない。浦添市港川の自宅マンションで、ひとり暮らすことにした。
上田と僕のマンションはタクシーで飛ばせば30分ほど。バスだと乗り換えして約1時間半。何かにつけて母ちゃんの所へ。二人とも、おしゃべり好きだからワイワイガヤガヤ。もちろん親子喧嘩も日常茶飯事。
その頃の母ちゃんは、口は達者だが足腰は弱り、いわゆる普通の外出は控えめ。外来も増えてきて、4年前にトイレで転倒。大腿部の手術を受けてからは車いすを利用する。
初めてのケアマネジャーがつき、要介護度3。きょうだい五人でローテンションを組み、上田に住む母ちゃんの側から離れないようにした。
二度目もトイレ。車いすのサイドを掴み損ねて転倒。救急車で豊見城中央病院へ運ばれたが、高齢のため手術不可能と診断された。
それから入退院を繰り返してベッド生活。要介護度5となる。上田の家から出たのは
03年6月26日(木)AM9:00だ。
前日の記録ノートから抜粋。PM19:50飛んで行きたい どこかへ。これも母ちゃんの悲痛な声である。70代の頃から「わたしは五人の子供を生み、立派に育ててきたから絶対に養老院へは行かない!」と言っていた。
今回の記事は
2005/09/09 10:46に作成した。
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おしゃべり好きな二人 削除した過去記事★1
http://goo.gl/QOqnV
沖縄タイムスの連載『いつも母ちゃんにアイ・ラブ・ユー』を担当した
男性記者から削除依頼
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