僕は母ちゃんのケアマネ(自己作成者)削除した過去記事★19

父の名は島袋光裕です

2012年05月06日 12:58

 母ちゃんの2005年8月分の実積表を提出するため、北谷町の沖縄県介護保険広域連合へ行く。今日が最後である。僕は04年(平成16年)5月分から母ちゃんだけのケアプランを自己作成していた。
 
 04年3月31日に自己作成者制度があるのを知った。そういう制度があることにビックリしたことを思い出す。

 各介護事業者のケア対応を直訴するため、母ちゃん同伴で国保連(国民健康保険団体連合会)に行ったときに介護保険課長から教えていただいた。それが直接のきっかけである。

 僕の前のケアマネジャーの男性担当者は1カ月。その前の女性は3カ月。その前の男性は2カ月。その前の女性は4カ月。皆さんは真面目に取り組んでいたと思うが、僕には納得し解たいことだらけ。契約するまでは親切だったが、後は連絡を取るのもままならなかった。

 ケアプランも事業者ペース。文句のつもりではないけど、僕から意見を述べると「契約を打ち切りますよ」みたいな態度をみせつける。打ち切られると、困るのは母ちゃんだ。ベッドも車いすも使用できなくなるから、いくら強気の僕でもオロオロする。

 一番最初の女性ケアマネからは「あなたは二男だから」と無視された。超最悪。僕は母ちゃんを引き取る理由で、それも喧嘩ごしに辞めてもらった。嫌がらせがあるんじゃないかと、ビクビクしていたのも確かである。

 そんなこんなで、母ちゃんのケアマネは僕で六代目。期間は1年4カ月であるが、誰よりも一番長かった。

 ケアプランって、サービス提供票(兼居宅サービス計画)を見ると大変そうだが、やってみると楽ちん。自分の判断で訪問診療の主治医や訪問看護師、ヘルパーなどが決められる。要介護者も嬉しいんじゃないかと思う。責任は重大である。

 県介護広域連合や市役所から「自己作成されているのは、現在、県内で息子さんだけですよ」と言われるのは悪い気がしなかった。母ちゃんのために、僕はもっともっと続けたかったです。

 今回の記事は2005/09/05 22:14に作成した。

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http://bit.ly/HcyB4T
沖縄タイムスの連載『いつも母ちゃんにアイ・ラブ・ユー』を担当した
男性記者から削除依頼

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