いつも母ちゃんに I LOVE YOU › 沖縄タイムスの女性記者 › 連載を薦めた、沖縄タイムスの与那嶺一枝記者が突然の休職

2012年06月29日

連載を薦めた、沖縄タイムスの与那嶺一枝記者が突然の休職

 母ちゃんは2005年8月25日に永遠の旅立ち。僕の喪失感は、ブログにも書いた通り。泣きと闘いの毎日である。

 僕は東京で再出発することを決心した。七七日忌の翌10月13日。沖縄タイムス社の岸本正男 代表取締役会長に今後のことを相談。心強い励ましと、快い返事を頂いた。

 タイムス社からの帰りは、豊平良孝 代表取締役社長の実姉でもある、元編集局次長の山城紀子さんと、パレット久茂地のリウボウ三階で会う。サロンで同席したのが、現在は政経部副部長・部長待遇(当時は学芸部くらし報道班)の与那嶺一枝記者。http://goo.gl/aaFon

 僕は母の想いを綴る本を出版したいと紀子さんに話をしたら、横から与那嶺記者が「連載を始めてみませんか」と問う。

 想定外の件に驚いたが、与那嶺記者は真剣な眼差しを向ける。僕は「よろしくお願いします」と頭を下げた。この1件で東京行きを断念。翌日から原稿書きを開始した。

 しばらくしたら、与那嶺記者が突然の休職。何の前触れもない。元学芸部長の上間昭一記者から休職の理由を「欝」と聞かされた。そして、担当者を変更すると言う。2005年11月7日に、くらし報道班の尾崎記者から、僕宛にメールがきた。

【関連記事】
母ちゃんの連載記事を薦めた、沖縄タイムスの与那嶺一枝記者
http://goo.gl/JZhXu



Posted by 父の名は島袋光裕です at 11:48 │沖縄タイムスの女性記者